肥後守 Micro Knife
Introduction
僕は以前から様々な種類の折りたたみナイフを使用してきました。「OPINEL」、「LEATHERMAN」、「VICTORINOX」、「The James Brand」などなど...これらはすべて海外製のナイフでした。
「日本製の折りたたみナイフは存在するのだろうか」という疑問が浮かび「肥後守(ひごのかみ)」というナイフを知りました。「肥後守」は日本独自の伝統と歴史を持つナイフで、そのシンプルながらも機能的な美しさに魅了されました。
登山を始めた頃は、山中で生鮮食材を使った本格的な料理を楽しむことが多く、それなりのサイズのナイフが必要でした。しかし、最近ではハイキングの際に本格的な料理をすることは少なくなりました。フリーズドライ食品を使ったり、山小屋がある場合はそこで提供される料理を楽しむことが多いです。
そのため、持ち歩くナイフも大きなものではなくても十分になりました。ナイフを使用するシチュエーションはまれですが、このサイズで十分対応できると思います。また、お守りとしても携帯しやすいサイズのナイフです。
肥後守(ひごのかみ)の始まりと現在
明治27年ごろ金物問屋『重松太三郎氏』が鹿児島から持ち帰ったナイフ※ を元に、携帯できるよう「チキリ(尾)」をつけて刃と柄を折りたためる構造を考案したと言われています。
当時取引先の多くが九州南部(主に熊本)だったことから製品名を『肥後守ナイフ』として販売したところ、現地で好評を得て販売数が大幅に増加しました。
刃は当時より両刃(V字断面の刃)だったと言うのが定説です。(この点は片刃の切り出しとは異なります)
刃体の形状も少しずつ変わってきました。初めは切っ先のとがった鋭利な形状(笹刃)から四角になりました。また柄も縦曲げと横曲げがありました。(現在では縦曲げは定番製品では製造していません。)
明治44年に神戸市で開催された「神戸第一回貿易生産共進会」で、後の大正天皇が展示されていた肥後守を大変気に入り御買い上げになったことで肥後守ナイフの名声がより広まったと伝えられています。
明治32年に「肥後守ナイフ組合」が設立され、最盛期には登録製造業者40軒、肥後守ナイフの製造に従事する者が200名を数える大きな産業となりました。
しかし各地で肥後守を模造した粗悪品が多く造られるようになり、様々なトラブルが発生したため、明治43年「肥後守」の名称を商標登録し、これ以後「肥後守」は三木洋刀製造業者組合の組合員だけが使用することができる名称となりました。
その後、時代の流れでカッターや電動鉛筆削りの登場、また昭和30年代に刃物追放運動が起こり、製造と販売に大きな打撃を受けました。
転職、廃業する業者が後を絶たず、現在では『肥後守』の商標を使用できるのは永尾かね駒製作所のみをなっています。
Spec
素材 : 刃部分 SK鋼、鞘部分 真鍮(メッキ塗装)
サイズ : 刃 約40mm × 鞘 約55mm × 厚さ23mm
重量 : 約15g
生産国 : 日本
生産者 : 兵庫県三木市 株式会社かね駒製作所
刃部分に使用されているSK鋼は、刃物、工具、金型などの製造に広く用いられています。その硬さと耐久性から、切削工具や金型、さらには一部の園芸道具やキッチン用品などにも使用されています。また、適切な熱処理を施すことで、その性能を最大限に引き出すことができます。
ただし、SK鋼製の道具や器具は、錆びやすいというデメリットも持ち合わせています。そのため、使用後は適切にメンテナンスを行い、保管状態にも注意が必要です。
肥後守 部分名称
刃の出し方
折りたたみの状態から刃を出す場合は、鞘の部分を押さえながらチキリ部分を押し上げてください。
その際、刃で怪我をしない様に十分気を付けてください。
鞘部分に「RIDGE」と「肥後守」の打刻が入ります。
上記画像、切先〜背〜チキリ部分にかけて鋼そのままの加工が施されております。
その為ご使用開始に手やチキリ部分に通してありますオレンジのコードに鋼の黒い色が付く場合がございますがこの製品の特性でございます。あらかじめご了承くださいませ。
手作り故の個体差、細かな傷
肥後守は工業製品とは異なり現在も職人さんが一点一点手作りにて組み立てられております。その為製造工程上どうしてもわずかな個体差がございます。上画像の様に細かな傷がついてしまう物もございます。あらかじめご了承くださいませ。
折りたたみが緩くなった場合の調整
使い込んでくると折りたたみがゆるくなる場合があります。その際はご自身で調整を行なってください。
金床などある程度強度がある物の上に置き上記画像赤丸部分の「カシメ」をハンマー、金槌などで軽く叩きながら閉まり具合を調整してください。
Color
この製品は「Black」、「Silver」の2カラー展開です。
Black
Silver
※鞘の部分にはメッキ塗装を施しています。使用過程においてメッキが剥がれてくる場合がございますので予めご了承くださいませ。
Package
専用の小箱に入れてお届けします。
Size Chart
Collaborator
Collaborateurではその製品を生産してくださる方たちを紹介しています。
株式会社かね駒製作所がある三木市は「金物の町」として知られています。
三木市の「金物の町」としての歴史は、特に豊臣秀吉による三木城の兵糧攻めに遡ります。この戦によって町が焼け野原となり、四方に散らばった人々を秀吉が呼び戻し、町の復興を図りました。この過程で大工職人や鍛冶職人が集まり、町は活気づきました。
その後、大工職人の仕事が一段落すると、彼らは京都や大阪などへ出稼ぎに行きましたが、その際に持参した三木の道具の素晴らしさが評判になり、「鍛冶の里」として三木の地盤を固めていきました。現在でも、伝統の技を基礎として多くの優れた金物が開発・生産され続けており、鋸、鑿、鉋、鏝、小刀などの五品目が国の伝統的工芸品に指定されています 。
現在で五代目の長尾光雄さん。14年ほど前に事業を継いだ際、実は後継ぎたくなかったと語ります。その理由は、当時「肥後守」のナイフがほとんど売れていなかったからです。
しかし、地域の役所などから、「名前のある物だから残してほしい」との声があり、仕方なく続けていたそうです。最初の2~3年間は、製品にほとんど注目がされず、ホームセンターで低価格の商品が主流となり、利益はほとんど出ず、働いている職人たちに給料を支払うと、残りのお金はほぼなくなってしまう状況でした。
転機となったのは、海外のお客様の注目を集めたことです。特に、ある有名な冒険家が「肥後守」のナイフを購入し、それが欧米のナイフ雑誌に掲載されたことで、海外からの注文が急増しました。
それ以降、オーダーは順調に増え続け、現在では生産待ちの状態が続いています。実際に、最新の「肥後守 Micro knife」も約半年待ちました。
創業当初は、「肥後守」を製造している工場が周辺に40件ほどありましたが、現在はこの1件のみとなってしまいました。これからの目標としては、より多くの若い人々にも「肥後守」を知ってもらい、使ってもらいたいと考えています。
明治27年(1894年)に初代駒太郎がナイフ製造を始めてから私で五代目となりました。肥後守の様々な時期を乗り越えてきた五代百有余年です。
若い世代には馴染みが薄い昔ながらのナイフかもしれませんが『道具を使い、ものを造る』という創作の原点として、肥後守を愛用して頂けたらさいわいです。
これからも伝統を守りつつ、新しい製品の開発に努めてまいります。
当ホームページでは永尾かね駒製作所に残る肥後守の歴史と、製品のご紹介を行っています。また新製品、展示会などのご案内も随時掲載しております。
五代目 永尾光雄
兵庫県三木市 株式会社かね駒製作所
〒673-0405
兵庫県三木市平田311番地
https://www.higonokami.jp/index.html
Attention
・鋭い刃、尖った刃先になっていますので取り扱いには十分注意してください。
・折りたたみナイフの為、開閉の際は十分注意してください。
・硬いものなどを無理に切ろうとすると刃こぼれの原因になりますのでご注意ください。
・作業をする際は周囲の人にも十分注意してください。
・保管場所は小さなお子様の手に届かない場所に保管してください。
・本来の用途以外では絶対に使用しないでください。
・使用後は汚れを拭き取り、椿油又は防錆油を含ませた布で拭いて湿気のない場所で保管してください。